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「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
四月三十日(水曜日) ○お赤飯 今日はいったい 何の日だ けいこ 昨日は地元のマラソン大会、力が出るようにお赤飯を炊いてもらいました。小豆をケチったら お赤飯じやなくて、お白飯になっちゃいました! でも美味しかっので、めでたし、めでたし。 ![]() ○お赤飯 ピンクで甘い 里の味 みどり 北海道のお赤飯は食紅でしっかり染めて、大納言の甘納豆を入れ ます。甘くてきれいなお赤飯でした(写真右)。明日は「思い寄せ」で 一句、お願いします。 ![]() 去年の今日、けいこは大きなマラソン大会に参加していました。そして、大会終了後のお楽しみ福引(?)で特賞を射止め、おまけにオリンピック・ランナー有森裕子さんと握手ができたのです。 そのときのことをけいこは以下のように綴っています。(写真右の孫悟空は、けいこのイメージ像です。) あの有森裕子さんと握手してから、幸せの価値観が少し変わりました。 「ただ走れるだけで幸せ!」な~んて、煩悩のかたまりのような私が本気でそう思ってしまいました! 探しものは見つからなくても、代わりのものがたくさんあり、その代用品が探してたもの以上の効果を発揮してくれる時、新たにまた「幸せの術」を発見した気がしました。 ![]() 第1章18節 そのとき、世尊は長老シャーリプトラに仰せになりました。 「シャーリプトラよ、お前はこれらの仏国土が功徳で荘厳されているのを見たであろう。」 シャーリプトラがお答えする。「世尊よ、見ました。かつて見られたことも聞かれたこともない荘厳を見ました。」 世尊が仰せになる。「シャーリプトラよ、私の仏国土は常にこのようである。しかし、未熟な衆生の成熟のために、如来は仏国土をこのように多くの欠陥や汚染があるように見せるのである。例えば、シャーリプトラよ、天子たちは同一の器で食事をするが、福徳を積んだ違いによって、美味な神饌を食するように、そのように、シャーリプトラよ、同じ仏国土に生まれた衆生たちも、それぞれの心の清浄の程度によって、諸仏の仏国土の荘厳を見るのである。」 (<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく) ▲
by vimalakirti
| 2008-04-30 13:55
「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
四月二十九日(火曜日) ○ほがらかに 母は魔術師 チチンプイ みどり 「痛いの痛いのとんでいけ~」という母の一言は実際、よく効きました。母親って、おまじないの 名人です。 ○ほがらかに 生きていくのは 難しい けいこ いつも上がり下がりが激しい私、な~んにも大きな行動はしていないのに、心はいつも噴火 したり洪水が起きたりしております。明日の冠題は「お赤飯」 でお願いいたします。 ![]() ヨーロッパの街並みには赤いゼラニウムがよく似合います(写真右)。窓辺に赤いゼラニウムを置いた家も多いですね。 中世ヨーロッパの人は「ゼラニウムには悪霊を家に寄せ付けない力がある」と信じ、家の周りにこの植物を植えていたようです。 ![]() 私も赤いゼラニウムが大好きで、幾鉢か育てています。ほとんど手がかからず、挿し木で簡単に増やすことができます。 ゼラニウムの花ことばは「慰め」「真の友情」「愛情」「決意」「君ありて幸福」など、友情や愛情に関連のあるものが多いです。私の赤いゼラニウムを読者のみなさんに捧げます(写真左)。 ![]() 第1章17節 そのとき、世尊は足の指でこの三千大千世界をトンと打たれました。 すると、その瞬間、この三千大千世界は無量百千の宝石でいっぱいになり、その無量百千の宝石で荘厳されたのです。 そして、この娑婆世界が、宝石で荘厳された如来の、無限の功徳の宝で荘厳されているかのように見えたのです。 そこにいたすべての人々は、なんと希有なことだろうと、自らが宝石の蓮華に坐しているように感じました。 (<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく) ▲
by vimalakirti
| 2008-04-29 00:18
「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
四月二十八日(月曜日) ○うらおもて 使い分けて 達人に けいこ うらおもてを使い分け、人生の達人になりたいと思う30歳のけいこです。 ○うらおもて 私のおもて 君のうら みどり 裏・表って、あってないようなものという気がします。上下、左右、みんなあってないような もの。気にしない、気にしない! 明日は、「ほがらかに」 で一句、お願いします。 ![]() 毎日、ユニークな視点で投句してくれている「なむ君」の近況を伝えるお便りが届きました。 桜の木がピンク色になったなあと思っていたら、瞬く間に満開、そして今はもう葉桜です。なむは三歳になり、トリマーさんで毛皮のコートを脱ぎました。みんなは「子豚ちゃんだ」といって、かわいがっています。あっちでもこっちでも、「な~む~ なむ な~む!」って、なむは大人気です。 毛皮のコートを脱いだなむちゃん、子豚みたいななむちゃんって、どんなでしょう? なむちゃんが脱いだ毛皮はどうなったのかな? (写真は毛皮を脱ぐ前のなむ君です。) ![]() 第1章16節 [16] そのとき、ジャティン梵天が大徳シャーリプトラに次のように言いました。 「大徳シャーリプトラよ、如来の仏国土が浄らかでないなどと言ってはならない。大徳シャーリプトラよ、世尊の仏国土は実に清浄である。シャーリプトラよ、それは喩えて言えば、他化自在天の宮殿が荘厳されているように、釈迦牟尼世尊の仏国土も功徳で荘厳されていると我々には見える。」 さて、そのとき、大徳シャーリプトラはジャティン梵天に次のよう言いました。 「しかし、梵天よ。この大地には高低があり、茨があり、断崖や山の頂や大きな穴、泥などで満ちているではありませんか」と。 ジャティン梵天が答えました。 「確かにそうだ。それは、シャーリプトラの心に高低があり、仏陀の知に対する思いが清浄でないから、お前には仏国土がそのように見えるのだ。大徳シャーリプトラよ、菩薩で、すべての衆生に平等な心をもち、仏陀の知に対する意欲が清浄であるものたちは、この仏国土が浄らかであるのを見るのだ」と。 (<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく) ▲
by vimalakirti
| 2008-04-28 08:57
「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
四月二十七日(日曜日) ○憧れは 腹中真空 空の鯉 みどり 「ああ、あんなふうに空っぽになれたらいいなぁ」って、去年の今頃も、鯉のぼりへの憧れを 詠んだ記憶があります。風の吹く日は風に揺れ、風のない日もあるがまま――。ああ、いい なぁ、鯉のぼり。 ○憧れは 強くてコワイ 仁王様 けいこ どうしても、自分の弱さが表情や態度に出てしまいます。強くなりたいなぁ。今朝は、早々の バースデーメール、ありがとうございました! 今日から、三十代を迷走、爆走していきます のでよろしく! 明日の冠頭は「うらおもて」 でお願い致します。 ![]() 昨日はちょうどよい曇天で、お日様の脅威にさらされず、のんびり歩くことができました。歩いたコースは... 日暮里駅北口 → 御殿坂 → 朝倉彫塑館 → 夕焼けだんだん → 谷中銀座 → よみせ通り → へび道 → 藍染通り → 不忍通り → 根津教会 → 根津神社 → 根津裏門坂 → 日医大つつじ通り → 本郷通り → 東大赤門 → 見返り坂・見送り坂 → 本郷三丁目(かねやす) → 湯島聖堂 → 聖橋 → ニコライ堂 → 御茶ノ水駅 夕焼けだんだんの階段がすっかり立派になって、以前の素朴な雰囲気が消えていました。でも、階段の袂の野生状態の藤は今年も変わらず見事に花を見せてくれていました(写真右)。 ![]() 根津教会の周りには日曜画家グループが熱心に絵筆を走らせていました。驚いたことに「カラシ種一粒の信仰があれば山をも動かす」とイエス様が言われた、そのカラシの木がかなり大きくなって、黄色い花を咲かせていました(写真左下)。 ![]() Happy Birthday, Keiko! 今日は けいこの誕生日! 鍼灸道とマラソン道を極めんと、 日々、精進努力しているけいこです。 みなさま、どうぞ暖かい ご声援を~ (^ー^)/ ▲
by vimalakirti
| 2008-04-27 09:27
「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
四月二十六日(土曜日) ○風まかせ その日その日で 生きていく けいこ わかるはずもないし、悩んでも仕方ないのに先のことを考えてしまうのが私の悪いクセです ○風まかせ 路地裏通り 根津あたり みどり 下町歩きが大好きです。よく歩くコースは、日暮里から夕焼けだんだんを下りて、谷中・千駄 木・根津あたりのいわゆる「谷根千(やねせん)」です。明日は、「憧れは」 でお願いします。 ![]() 去年、お互いに母を亡くした友人と、そろそろ涙なしで会えるかな... ということで、今日、これから久しぶりで会うことになった。 コンコースが広くなった新生・日暮里駅で待ち合わせ、そこから朝倉彫塑館に回り、あとは文字通り、ぶらぶらと風まかせで歩く。根津あたりでは満開のツツジが見られるかも(写真は昨年の様子)。でも、人のほうが多いかな (^^;。 みなさまも どうぞ よい週末をお過ごしくださいね (^ー^)/ ▲
by vimalakirti
| 2008-04-26 09:22
「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
四月二十五日(金曜日) ○夏近し 木の下闇の 風涼し みどり いつのまにか桜の木は緑の葉を愛でる季節になり、柳の立ち姿はやわらかな髪をなびかせる 女人のようです。 ○夏近し 連休過ぎれば 盆が来る けいこ 連休が終わると次は盆休みを考えてしまいます。明日の冠頭は「風まかせ」でお願いします。 ![]() ご近所の花好きの奥さんのお庭にきれいに咲いたこのお花 ― たぶん、芍薬だと思うのですが。芍薬と牡丹はとても良く似ていますね。その違いは茎を見ると分かると言います。牡丹は茎が木性なのに対して、芍薬は草性なのだそうです。とすると、これは芍薬かな...。(牡丹であることが判明 4/26) 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」ということばがありますね。美しい女性をたとえる表現と思っていましたが、漢方では三つとも根の部分が生薬として使われており、特に、芍薬と牡丹は婦人科系の病気に効能があるとか。「立ったまま長くおしゃべりできる女性には芍薬を、すぐに座りたがる女性には牡丹を配合するとよい」という意味で、「立てば芍薬、座れば牡丹」の表現があるのだそうです。 ![]() 第1章15節 [15] そのとき、仏陀の威神力によって長老シャーリプトラ(舎利弗)に、次のような思いが生じました。 「もし心の清浄があるように、そのように菩薩の仏国土が清浄となるというのならば、釈迦牟尼世尊は菩薩行を行じたのだから、心が不浄であるということはありえない。にもかかわらず、どうして、世尊のこの仏国土はこのように不浄に見えるのだろうか。」 そのとき、世尊は長老シャーリプトラが心に思ったことを心で知って、長老シャーリプトラにこう言われました。 「シャーリプトラよ、次のことをどう考えるだろう。日月が不浄であるとは言えないにもかかわらず、生まれつき盲目である人は日月を見ることはない。それは日月が不浄だからだろうか?」 シャーリプトラがお答えしました。 「そうではありません、世尊よ。それは日月に問題があるからではありません。」 世尊が仰せになりました。 「それと同様に、シャーリプトラよ、如来の仏国土が功徳の飾りで荘厳されているのが見えないという衆生がいるのは、その衆生たちの無知の過失であって、そこに如来の過失があるのではない。実にシャーリプトラよ、如来の仏国土は常に清浄なのだが、それにもかかわらず、お前たちにはそれが見えないのだ。」 (<現代語で読む『梵文・維摩経』> 来週月曜日につづく) ▲
by vimalakirti
| 2008-04-25 20:06
「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
四月二十四日(木曜日) ○よういドン 誰か号砲 ならしてよ けいこ 自信がなくて、迷ったり、踏み出せない時に誰かに背中を押して欲しかったり、指示して欲し かったりします。優柔不断なけいこです ○よういドン 一歩退く 一年生 みどり 「ドン!」 とピストルが鳴ると、反射的に一歩退き、やおら走り出す一年生だったわたし、 今もたいした変わらないかも (^ー^;。明日は「夏近し」 で一句、お願いします。 祈 り 原っぱのそこここにタンポポの綿帽子が見られるようになりました。飛んでゆく綿毛の一つ ひとつに祈りのことばを結びたい...。 ![]() み~んなが幸せでありますように み~んなの悩み苦しみがなくなりますように み~んなの心の願いが叶えられますように み~んなに知恵の光があらわれますように ![]() 第1章14節 [14] このように、良家の若者よ、菩薩の「加行」がある限り、 その限り「真っ直ぐな心」があり、 「真っ直ぐな心」のある限り、その限り「深い心」があり、 「深い心」のある限り、その限り「思考」があり、 「思考」のある限り、その限り「修行」があり、 「修行」のある限り、その限り「廻向」があり、 「廻向」のある限り、その限り「方便」があり、 「方便」のある限り、その限り「国土の清浄」があり、 「国土の清浄」があるように、そのように「衆生の清浄」があり、 「衆生の清浄」があるように、そのように「智慧の清浄」があり、 「智慧の清浄」があるように、そのように「説法の清浄」があり、 「説法の清浄」があるように、そのように「智慧の行の清浄」があり、 「智慧の行の清浄」があるように、そのように「自心の清浄」がある。 それ故に、良家の若者よ、仏国土を清めたいと願う菩薩は、自らの心を浄らかにせんと努めるべきである。それは何故かというと、菩薩の心が清浄であるように、そのように仏国土の清浄が生ずるからである。」 (<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく) ▲
by vimalakirti
| 2008-04-24 17:44
「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
四月二十三日(水曜日) ○鳥歌い 吾子(あこ)生まれたり 緑濃き みどり 明日誕生日を迎える息子がいます。予定日は五月五日だったのに、早く世の中に出たかった みたいです。あれから三十数年、今も毎日、楽しそうです(^ー^)。 ○鳥歌い 陽気な心に リズムよく けいこ マラソン大会の時、和太鼓の応援があると、元気になります。明日の冠頭は「よういドン」 で お願い致します。 ![]() かの偉大なる文人にして、科学者にして、哲学者なるゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749年8月28日~1832年3月22日)は、七十の坂を越えてものした「警句的」と題する詩の中で、人間が幸福な生活をするために必要な五つの条件を挙げて、次のように述べています。 気持ちのよい生活をしようと思ったら すんだことをくよくよせぬこと、 滅多なことに腹を立てぬこと、 いつも現在を楽しむこと、 とりわけ、人を憎まぬこと、 未来を神にまかせること。 意識を刻々の現在・現在の瞬間・瞬間に集中するのは、凡人にはなかなか難しいことですが、文豪の教えを時折り、思い出してみるのもいいかも知れません。 ![]() 第1章13節(その3) 「この上ない巧みな方便」が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、あらゆる方便と考察に熟達した衆生たちが仏国土に生まれる。 「三十七菩提分法という修行過程」が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その全行程(四念処、四正勤、四神足、五根、五力、七覚支、八正道)の歩み方を知る衆生たちが仏国土に生まれる。 「廻向の心」が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、あらゆる功徳によって荘厳された仏国土が現われる。 「八種の不運を除滅する教え」が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、あらゆる悪道を断滅し、八種の不運を遠離した仏国土が生じる。 「自らは進んで戒をよく守り、他人の罪過は非難しない」、それが菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、罪過という名称さえ存在しない。 「十善業道の清浄さ」が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、[その]仏国土には、命寿をまっとうし、大財宝を有し、梵行を修し、真理に随順する言葉によって飾られ、柔和に語り、衆会を分裂させることがなく、争いをまとめるのが巧みであり、嫉妬心を断滅し、瞋恚の心がなく、正見を具えている衆生たちが生まれる。 (<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく) ▲
by vimalakirti
| 2008-04-23 19:34
「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
四月二十二日(火曜日) ○笑い声 まわりの空気 温める けいこ 日曜日はたくさん笑ったなあって、マラソン大会の思い出にふけっております。やっぱり笑いと 幸せはセットなんですねぇ。 ○笑い声 医療費削減 果たせるか みどり 「笑いは百薬の長」と言いますね。「笑って病気知らずで、医療費削減」を実現できたらいいで すね(笑)。明日は「鳥歌い」 で一句、お願いします。 ![]() 「笑うヨガ」はインドのドクター・カタリアによって提唱されたそうです。笑いは副作用もないし、なんの準備も不要ですぐ実践できるから試してみようと思うのですが、なかなかできません。 ところで、日本にもラフターヨガの団体があるらしく、ドクター・カタリーナをお招きしたりしているようです(写真:Laghter YogaのHPより)。 笑おうよ 「笑う脳には福来る」 精神科医の うれしいことば (佐藤綾子『老楽笑歌』より。拙ブログ 1月5日記事参照) ![]() 第1章13節(その2) 「忍耐」という国土が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、(仏のすぐれた特徴である)三十二相によって荘厳され、忍耐と柔和と寂静の最高を完成した衆生たちが仏国土に生まれる。 「勇猛精進」という国土が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、あらゆる善を追い求めることに努力を発起する衆生たちが仏国土に生まれる。 「禅定(心の静まり)」という国土が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、正念と正知が定まっている衆生たちが仏国土に生まれる。 「智慧」という国土が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、正位にある(=覚りを得ることが決定している)衆生たちが仏国土に生まれる。 「四無量心」が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、慈と悲と喜と捨の心を住まいとしている衆生たちが仏国土に生まれる。 「四摂事」が、良家の若者よ、菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、あらゆる解脱に摂受された衆生たちが仏国土に生まれる。 (<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく) ▲
by vimalakirti
| 2008-04-22 11:33
「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
四月二十一日(月曜日) ○助け合い いのちは巡る すみれ草 みどり そこここにかわいい花を見せてくれているスミレたち。その一輪の花にどれだけの助けがあっ たことでしょう。親株、光、水、風、土、温かさ...。 私もまた計り知れない助けを受けて、いま、 ここに。 ○助け合い 助けられて ばかりなり けいこ 昨日は盲人の女性ランナーの伴走をさせていただきました。制限時間内に完走できました! 明日の冠頭は「笑い声」でお願い致します。 ![]() 道端の草むらに発芽したどんぐりを見つけました。 たぶん、ミズナラでしょう。今はほんの赤ちゃんですが... ![]() 何十年かの後には、堂々としたミズナラの大樹に成長しているでしょう そして、私の見ない世界を見るのです... そのとき、その世界が今よりもなお緑豊かで、 明るく、美しく、平和で... ほがらかで、やさしいい人々の住むところでありますように... ![]() 第1章13節(その1) [13] そしてまた、宝積よ、 「真直ぐな心」という国土が菩薩の仏国土である。菩薩が覚り(さとり)を得て仏国土を建立したとき、その仏国土には、諂いもなく、欺瞞のない衆生たちが生まれる。 「深い心」という国土が菩薩の仏国土である。その菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、あらゆる善という富を集めた衆生たちが生まれる。 「修行」という国土が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、あらゆる善き教えを尊ぶ衆生たちが生まれる。 「広大な菩提心を起こすこと」が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、大乗(誰でもが救われる教えの道)に踏み入った衆生たちが生まれる。 「布施」という国土が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、一切を捨てることのできる衆生たちが生まれる。 「戒律」という国土が菩薩の仏国土である。菩薩が覚りを得たとき、その仏国土には、あらゆる誓願を成就し、「殺さない・盗まない」などの十の善業をよく守る衆生たちが生まれる。 (<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく) ▲
by vimalakirti
| 2008-04-21 11:22
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