「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
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目にやさしいです。
六月十七日(水曜日)
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青い空 悩み事を打ち消して けいこ
今日は雨です。こんなときこそ、気合いを入れなければ!
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青い空 ああ生きる日の美しき みどり
「われは草なり伸びんとす/伸びられるとき 伸びんとす/伸びられぬ日は 伸びぬなり/
伸びられる日は 伸びるなり」 です。「草のいのち」を喜んで生きていきたいと思います。
明日は「
両隣り」 で一句、お願いします。
連載『ヴィマラキールティの教え』(287)
第12章11節
(十一) [法の供養とは](21)我が無く、有情無く、寿命無く、プトガラも無いこと[を説くもの]であり、(22)空・無相・無願・無作[を説く]であり、(23)菩提座をもたらすものであり、(24)法輪を転じるものであり、(25)天・龍・ヤクシャ・ガンダルヴァによって賛嘆され賛嘆されたものであり、(26)正法の系譜を断じることのないもので、(27)法の蔵を維持するもので、(28)法の最高の供養に入らせるもので、(29)すべての聖人によって受持されたもので、(30)あらゆる菩薩行を開示するものであり、(31)真実義の法の集積に入らしめるものであり、(32)法の綱要たる無常・苦・無我・空より生じたものであり、(33)悪戒の威力を破壊するものであり、(34)一切の外道の異論・悪見・所縁への取著に畏怖を生じさせるものであり、(35)一切の仏陀によって賞賛されたものであり、(36)輪廻を対治するものであり、(37)涅槃の安楽を説き示すものである。
このような経典を説き示し、顕かに示し、受持し、観察し、正法として把握する、それが法の供養というのである。
(<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく)