「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
十月二十三日(木曜日)
○
本音とは 心のなかに しまうもの けいこ
本音と建て前をうまく使いわけられず、うま~く世の中を渡っていけない私です。精神的に
未熟者なんだなあ。
○
本音とは 愚者の蔵をぞ 満たしけり みどり
知恵のある人はまっすぐに真実に向かうので、本音と建前の使い分けなどということはない
のではないかなぁ。明日は、「
陽だまりに」 で一句、お願いします。
賢者と愚者
インドの古典『ダンマ・パダ』(真理のことば)に次のような一節がありました。
○ 愚かな者は生涯賢者に仕えても、真理を知ることが無い。匙が知るの味を知ることができないように。
○ 聡明な人は瞬時(またたき)のあいだ賢者に仕えても、ただちに真理を知る。舌が知るの味をただちに知るように。
連載『ヴィマラキールティの教え』(133)
第4章11節
(11) マンジュシュリーが尋ねました。「良家の子よ、病んでいる菩薩は自分の心をどのように観察すべきでしょうか。」
ヴィマラキールティが答えました。
「マンジュシュリーよ、病んでいる菩薩は次のように自分の心を観察すべきです。
《この病気は、前世から存在するものではなく、顚倒した業より生じ、妄想分別という煩悩から生じたものである。また、最高の真理(勝義)からすれば、そこにはいかなる実体も認められないのである。何故かといえば、この身体は四大元素から成り、これらの構成要素には、支配者も創造者もいないからである。》
(<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく)