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「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
五月二十七日(火曜日) ○涙ぬぐい 小さな虹を 眺めてた みどり 小さい頃、悲しいことがあって泣いてもぐっと涙をぬぐって我慢するというタイプの子どもで した。睫に残った涙がきらきら虹色に光るのを「きれいだなぁ」と思って眺めていました。 ○涙ぬぐい 未来に向かって 何度でも けいこ やってもやっても、成績がなかなか上がらない私。こうなると、前に進むと言うより、ただ粘り 強くって感じです。明日の冠頭は「真剣に」でお願い致します。 ガンセキランが咲いています 4月20日、茶色い石ころのようなバルブ(球根)を二、三個いただきました。 「ガンセキランっていうのよ」 と聞いて、「岩石の間にも咲くような丈夫な蘭なら育てられるかも...」 と思い、鉢に入れて日陰で様子を見ていたら、いつのまにか茎が伸びて、数日前に花が咲きました。 ちょっと調べてみたところ、ガンセキラン(岩石蘭)とはいっても、岩石地を好むからではなく、大きな固いバルブを岩石に見立てた命名だそうです。今から50年ぐらい前は、山歩きで普通に見られたそうですが、長年の間に乱獲にあって、今では絶滅危惧種だそうです。 わぁ~、大事にしなくちゃぁ。 連載『ヴィマラキールティの教え』(38) 第3章5~6節 (5) そこで、世尊は具寿者マハー・マウドガリヤーヤナ(目連)に仰せになりました。 「マウドガリヤーヤナよ、ではお前がリッチャヴィのヴィマラキールティの病気見舞いに行きなさい。」 すると、マウドガリヤーヤナも申しました。 「世尊よ、私はあの貴いお方の病気見舞いに行くことはできません。それはなぜかと言いますと。世尊よ、私は今も覚えているのです。あるとき、ヴァイシャーリーの大城のある街道の門のところで、家長たちのために法を説いていると、そこにリッチャヴィのヴィマラキールティが近づいてきて、次のように言いました。 (6) 「大徳マウドガリヤーヤナよ、白い衣を着た在家の人々に、大徳が説いておられるように、そのように法を説くべきではありません。むしろ、大徳マウドガリヤーヤナよ、法というものは如法(あるがまま)に説かれるべきです。なぜなら、大徳マウドガリヤーヤナよ、1)法は衆生ではなく、衆生の汚れを離れたものであり、2) 無我であって、欲望の汚れを離れており、3) 命寿のないものであって、生死を離れており、(4) プドガラではなく、前後際を断じているからです。また、5) 寂静であって、近寂の相を有し、6) 欲望を離れて、何ものにも執着しないものなのですから。 (<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく)
by vimalakirti
| 2008-05-27 09:23
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