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2011年8月4日(木曜日)
祝島に見た「絆」 の具体的な形 東日本大震災のあと、「絆」 という言葉が実によく使われました。 みんなが「つながること」を求めていたのでしょうね。でも、実際には、「つながること」 も 「助け合うこと」 も簡単ではなく、どれだけの「絆」が結ばれたのか心許ない限りです。 一昨日来ご紹介している祝島の人たちの暮らしにはその「絆」 が具体的な日常生活そのものとして見られるように思います。DVDのシーンの中から、いくつか挙げてみたいと思います。 島で育つ子豚たち、お母さんとも兄弟とも強い絆で結ばれ、楽しそうです。楽しく育ったブタの肉は美味しくなります。私は豚肉はいつも、「放し飼いのブタ」(ハッピー・トントン: 生協の豚肉に私がつけたニックネーム?!)を求めるようにしています。 一日の仕事を終え、夕食も済ませた後、ご近所のあるお宅にみんなが集まる。365日毎日、集まらない夜はない。「一人で家におると、口を開くことがないからな」 とは、あるおじいさんの言葉。 30有余年の年月をかけて築き上げたという石垣は見事というほかない。その石垣に守られた棚田を大事に育ててこられたおじいさん。大きな石の一つに向かい、 孫や子に伝えたいご自分の気持ちを刻みつけていた。その「カンカン」 という音が棚田に響く。 このおばあさんは山の上にあるご亭主のお墓にお参りに行かれるところ。何軒もの親戚知人のお墓も参るからと、墓前にお供えする枝を一抱えも二抱えも切っていた。「後家楽、後家楽!」 と後家の暮らしを嘆くでもなく、半日かけての明るく丁寧なお墓参り。 「漁師は歯科もできんとな」 と言いながら、釣り上げた魚の口を大きく開けて、釣り針を外していたこの一本釣りの漁師さんは、釣り上げた魚、一匹一匹に話しかけていました。 28年間続けてきたデモ。今も定期的に村を巡る。「悲しいのは、仲良くしていた島の人たちが、原発で対立するようになったこと。でも、いつかまた仲良くなれる日がくると思っている」 と噛み締める語られていた。デモが終わったら、仏前で、「お父さん、お母さん、今日も阻止できました。ありがとうございました」 と報告するという女性もいた。 「きれいな海があれば、この島で生きていける。子や孫が戻ってきても暮らしていける」 と、島の人たちは海を守るために28年間、信念を曲げずに戦ってきました。 私たちも、この人たちと同じように、緑の地球(ほし)を子や孫に残すために力を尽くさなければいけない。この人たちが、ばら撒かれたお金よりも「きれいな海」 を選び取ったように、私たちは「モノにあふれた豊かさ」 より、「子や孫が健康に暮らせる幸せ」 を選び取らなければならない。 「原発を取るか、貧しい暮らしを取るか?」 と聞かれたら、「貧しさを取る」 と即答したい。 はなぶさ あやさん、すばらしい映画を作ってくださって、ありがとうございました。 島での2年間の撮影の日々、お疲れさまでした。
by vimalakirti
| 2011-08-04 23:23
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