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「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
当ブログは、「文字サイズ中」で編集しています。レイアウトが崩れますが、「文字サイズ大」にしていただくと、 目にやさしいです。 八月五日(水曜日) ○ぶらり旅 気の向くままに歩いたよ けいこ 今日さすがに筋肉痛です。 ○ぶらり旅 無人の駅で握り飯 みどり しんとした無人駅の雨露を凌ぐためだけの小さな待合室でおにぎりを食べる。深い緑、青い空、 白い雲、セミがしきりに鳴いていた。そんな旅をした昔もありました。 明日は、「かわいそう」 で一句、お願いします。 連載 『ヴィマラキールティの教え』(天女の章) 第3回 [2](その1) [マンジュシュリーが]尋ねました。 「貴いお方よ、もし、菩薩が一切衆生をこのように[あり得ないものとして]見るべきであるならば、どうして彼に、一切衆生に対しする大慈が衆生に対して生じるのですか」と。 [ヴィマラキールティが]答えました。 「マンジュシュリーよ、もし、菩薩が次のように観察するなら、即ち、「実に、私はこれらの衆生たちに対し、法を了知するために、このように法を説き示すべきである」と観察するなら、そのように観察することによって―― (1)無所縁なるが故に、菩薩には、真実なる衆生済度の慈が生じるのです。 (2)不生なるが故に、[菩薩には]寂静なる慈が[生じます]。 (3)無煩悩の故に、[菩薩には]無熱悩の慈が[生じます]。 (4)三世に平等なるが故に、[菩薩には]如実なる慈が[生じます]。 (5)親しく近づくことがない故に、[菩薩には]調和の慈が[生じます]。 (6)内と外を混同しないが故に、[菩薩には]不二の慈が[生じます]。 (7)畢竟究竟なるが故に、[菩薩には]不動の慈が[生じます]。 (8)金剛の如く堅固で不壊なる意欲の故に、[菩薩には]堅固な慈が[生じます]。 (9)自性清浄なるが故に、[菩薩には]清浄なる慈が[生じます]。 (10)虚空平等性の故に、[菩薩には]平等の慈が[生じます]。 (11)敵を打ち砕くが故に、[菩薩には]阿羅漢の慈が[生じます]。 (12)衆生の成熟に間断なきが故に、[菩薩には]菩薩の慈が[生じます]。 (13)真如を覚らせるが故に、[菩薩には]如来の慈が[生じます]。 (14)眠れる衆生を目覚めさせるが故に、[菩薩には]仏の慈が[生じます]。 (15)自ら現証させるが故に、[菩薩には]自然の慈が[生じます]。 (<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく)
by vimalakirti
| 2009-08-05 21:16
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