「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
当ブログは、「文字サイズ中」で編集しています。レイアウトが崩れますが、「文字サイズ大」にしていただくと、
目にやさしいです。
六月二日(火曜日)
○
親指に 自分のすべてを委ねよう けいこ
いま指圧を習っているのですが、なかなかうまくいきません。本、届きました!
○
親指に 四指みな添えて蓮華かな みどり
子どもの頃、おもちゃなんてなくても、手でいろんな遊びをしたことを思い出しました。
手で蓮華の蕾を作って、「ひ~らいた ひ~らいた な~んのは~ながひ~らいた♪」
なんて歌って遊びませんでしたか? 明日は「夏の空」で一句、お願いします。
連載『ヴィマラキールティの教え』(276)
第11章8節(その2)
如来が現におられるときであれ、涅槃せられた後であれ、このような勝れた法門を聞いた者なら、例外なくだれでも大きな恵みを受けるでしょう。ましてや、それを聞いて信順の気持ちを起こしたり、堅く信じたり、教えを受持したり、説明したり、読誦したり、理解した者、あるいはまた、信じて後、他人に対して説法したり読誦したり、解説したり、修めるべきヨーガを修行する者であったなら、より大きな利益を得ることは、言うまでもありません。
(<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく)
JR巣鴨駅近くの街路で、大きなプランターで見事に花開いていました。