「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
二月九日(月曜日)
○
なんとかなる 恐るるなかれ わが友よ みどり
けいこちゃん、大丈夫、なんとかなるさ。なむちゃんと遊んで、気を抜きながら、風邪引かない
ように、よく寝ましょうね。
○
なんとかなる 努力は決して 裏切らず けいこ
アタマがパンクしそうです! 明日の冠題は「
噛みしめて」 でお願い致します。
友からの便り
今日は朝からずっと用事が続いて、「や~れやれ」 と思って帰宅したのは10時過ぎでした。玄関を入ると、沖縄に住むかつての同僚からタンカンが届いていて、茶の間のテーブルには鹿部(北海道道南地方)に住む友人から懐かしい便りが届いていました。そして、パソコンを開くと、札幌に住む恩師から、雪祭りの写真が添えられて近況報告メールが届いていました。
なんだか疲れが抜けました。私もこんな手紙や贈り物のできる人にならなくては...。謝謝!
↑写真の雪像のタイトルは「北の動物家族 森を守れ」で、尾白鷲やしまふくろうなどが力強く
彫られています。
連載 『ヴィマラキールティの教え』(200)
第8章30~31節
(30) マニクータラージャ(髻に宝石をもつ王;珠頂王、珠髻王)菩薩が言いました。
「正道と邪道という、それが二です。しかし、正道に入っている者には、もはや踏み行く邪道はなく、踏み行くことのない者には、正道という観念も邪道という観念もありません。[これらの]観念を遍く知る者は、二に関する智は入り込みません。それがその人にとって、不二 [の法門] に入ることです。」
(31) サトヤナンディン(真理を喜ぶ; 楽実、諦実)菩薩が言いました。
「真実と虚妄という、それが二です。真実を見る者は、真実にさえも見ることはありません。どうして虚妄に見るでしょうか。何故かといえば、その人は肉眼で見るのではなく、慧眼をもって見るからです。即ち、あるがままに見て、誤って見ないのです。そこに於いては真実に見ることも、虚妄に見ることもありません。それが不二[の法門]に入ることです。」
(<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく)