「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
十一月十七日(月曜日)
○
黙々と 野良は皿の餌(
え) 食(
は)みてあり みどり
わが家に通ってくる 「見回りネコのみまちゃん」 は野良として女一人、立派に生きています。
その一心な姿には脱帽です。
○
黙々と 闘志の炎に 薪くべる けいこ
人の目を気にするから疲れてしまうことがわかりました。心の炎にただひたすらに薪をくべ
空気を入れる作業を、ひたすら続けたいです。明日は「
隣り合う」で一句お願いします。
雨の讃美
雨は地上の一切のものを支え続けるゆえに、
甘露とみなされる。
雨は人のために優れた食物を産み出し、
人の食物(飲み物)ともなる。
雲がなく、雨をもたらさないと、
飢えは海に囲まれた広い大地に根を下ろし、
[一切の生物を]苦しめる。
雨という水の恵みが減少したなら、
農夫が鋤で耕すこともない。
[一切を]滅ぼすのも、それを再び救い上げるのも、
すべて雨である。
( 『ティルックラル』(古代タミルの箴言集)より)
連載『ヴィマラキールティの教え』(150)
第4章20節 (その4)
(29)[八]正道の建立を行境とするが、邪道を所縁としない
ことを行境としている。それが菩薩の行境である。
(30)止と観の資糧を集めることを行境とするが、究極的な寂
滅に陥ることを行境としない。それが菩薩の行境
である。
(31)不生の相をした一切法の考察を行境とするが、色・相・
随形好をもって仏身の荘厳を完成することを行境として
いる。それが菩薩の行境である。
(32)声聞や独覚の威儀を示現することを行境とするが、仏法を捨てないことを行境としている。
それが菩薩の行境である。
(33)[八]正道の建立を行境としているが、邪道を所縁としないことを行境とする。それが菩薩
の行境である。
(<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく)