「五・七・五」の頭の五文字(冠題)を交代で出し合って、毎日、一句の交流です。
七月三十日(水曜日)
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セミの殻 潔きこと 限りなし みどり
「過去を脱ぎ捨てる」などという言語的概念の一切ない、すっぱりとした潔いあり方をそこに
見る思いがして、きれいな抜け殻をしみじみと眺めています。今年も、セミの合唱が日ごとに
ヴォリュームアップしています。
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セミの殻 命を懸けた 衣替え けいこ
けいこはなかなか脱皮ができません。何かを変えるって、とてもエネルギーが必要です。
明日の冠頭は引き続き「
脱皮して」 でお願い致します。
ゴーヤーの実る頃
去年、なかなか外に出られない母が楽しめるように、出窓にゴーヤーの苗を二本植えたところ、思いのほか成長がよく、日々、母を楽しませてくれました。見事な緑のカーテンとなり、大きな実も五つばかりつけてくれて、ゴーヤーチャンプルのほか、サラダにもして、美味しくいただきました。最後の実は赤く熟すまで枝につけておき、フルーツのように味わいました。
今年はゴーヤーを植えませんでした。ちょっとさびしく思っていたところ、お向かいの奥さんが、「まだ、ちっちゃいけど」と言って初物を届けてくれました。
連載『ヴィマラキールティの教え』(84)
第3章47~48節
(47) 世尊よ、リッチャヴィのヴィマラキールティが質問し、解説し、説示することは以上のようでありました。
ですから、世尊よ、私はかの貴いお方ヴィマラキールティの病気見舞いに伺うことはできかねます」と[アーナンダが申しました]。
(48) 彼ら[十大弟子]と同様に、(病気見舞いに)行くことができない五百人ほどの声聞たちが、[それぞれに見舞いに行くことができない理由を]世尊に申し上げました。
彼らは、かのリッチャヴィのヴィマラキールティと会話したこと、そのすべてを世尊に申し上げたのです。
(<現代語で読む『梵文・維摩経』> 明日につづく)