2011年6月15日(水曜日)
謎の石堂 ― 鳥取からのフォトメール
因幡(いなば)は大黒様と白兎の昔話で有名ですが、古代王朝時代の文化が花開いた地で
あり、その国府(現在の鳥取市国府町)は、大伴家持が『万葉集』の最後をかざる歌
「
新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」 をよみ、在原行平が『古今和歌集』
に因幡山をよんだ地として知られます。その国府町の「
謎の石堂」 について、フォトメールが
届きました。送り主は鳥取在住のわが弟です。
元気ですか?
珍しい石堂を見てきたので写真を送ります。因幡の国府は鳥取市国府町におかれていた。
その国府町に岡益の石堂(おかますのいしどう)という、風変わりな石造物がある。
これは何だと思いますか?
高さ1メートルの基壇の上に、厚さ40センチの一枚岩で出来た壁石で側面を囲み、中央に高さ2メートル近い円柱をたて、その上にマス形の石を載せている。何かの一部のように見えるが、壁石で囲まれた中に円柱があって、円柱と壁石のあいだにそれほどの余地はない。それに基壇の大きさと壁石の大きさは釣り合っているからほぼこれですべてでしょう。多分、円柱の上部にもう少し何かがあったのでしょうが。
この石堂は安徳天皇陵墓参考地なので宮内庁の管理です。昔は、この石堂には覆い屋根もなく、すぐ近くまで行けて見やすかったが(↓は以前の石堂)
今は立派な覆い屋根があり、松も植栽されて見にくくなった。
弟のレポートは以上です。皆さんはこんな石堂、ご覧になったことありましたか?
私は初めてだったので、ネットで少し調べたところ、「岡益の石堂(おかますのいしんどう)は、
建築者・建築年代・建築目的とも不明のため、地元では
謎の石堂(いしんどう)と呼ばれる」 そうです。また、この地に伝わる平家伝説に着目して、「長通寺10世住持・牛尾得明師は岡益の石堂を安徳天皇の陵墓と断定し、宮内省に十数年かけて陳情した。石堂は1895年(明治28年)に陵墓参考地となった、宮内庁によって安徳天皇の陵墓参考地に指定されている」 とのことです。
ウィキペディアには、岡益の石堂の背面の写真が掲載されていました。
全国各地に伝わる「謎」はたくさんあるのでしょうね。わが市にも不思議な話がいくつか伝わって
いて、そのひとつはウチの近くにありますので、いつかご紹介したいと思います。