2010年8月15日(日曜日)
あの日の父
いま思うと、8月15日は、父にとって、特別に特別な日だった。
その日、子どもたちの帰宅が遅くなることをひどく嫌った。
「戦争を知らない子どもたち」 には、父の心が分からなかった。
父は南方の戦場でかなり悲惨な体験をしたようだ。
「戦闘機に乗っていたので耳の聞こえが悪くなった」 と言っていた。
「軍曹殿!」 などと敬礼のポーズをとったり、声色を使い分けたりして、
戦場の話をよくしてくれる父だった。
それなのに、わたしは真面目に聞いていなかった。それが今、とても心残り...。
私が高校生になってからも、8月15日に万が一帰りが遅くなったりすると、
「今日は何の日だと思っているんだ!」 と、ビンタが飛んできかねない勢いで叱られた。
父の遣る方ない怒りは、64年の生涯、ずっと消えなかったのではないだろうか。
隠居してから、父は乗用車に日用品を積み込み、母と二人、1ヵ月ほどかけて、
函館-鳥取間の、ささやかな日本縦断の旅をした。
道中、何人かの戦友を訪ねたと聞いた。
いま思うと、あの縦断は、単なる「老後の楽しみの旅」 などではなく、
「鎮魂の巡礼」 のようなものだったのかもしれない。
今頃になって、父の話をちゃんと聞きたいと思う。
戦後65年の8月15日。
祈り(チェン・ミン) ― 草も木も花も小鳥たちも祈りの歌をうたっている