2010年8月8日(日曜日)
おせっかいの効用 ― 母の思い出
3年前に他界した私の母は、「こうしちゃいられない」が口癖で、じっとしていることのない人でした。その「じっとしていられないスピリット」が、晩年、脳塞栓で倒れたとき、失った機能を取り戻す原動力となりました(添付のお習字3点はリハビリの成果です)。また、そのスピリットが他者に向けられると、たいへんな「おせっかい」という形で現われました。例えば...
○あるとき、上野駅改札を出たところで、地べたに寝そべっているおじさんがいました。母はすぐに寄って行き、「こんなところで寝転んでいないで、ちゃんと帰りなさい」というようなことを言っていました。帰りにまた同じ場所を通ると、その人はまだ寝たままでした。母はお巡りさんに、「あそこに何時間も横になっている人がいるけど、病気かもしれないから見てやってちょうだい」と言いに行きました。[そういうとき、まだ若かった私は、たいてい母からちょっと離れて行動していました。(--;]
○交差点で信号が青に変わるのを待っているとき、隣に地図を広げたグループがいたりすると、「おや、どちらへいらっしゃるんですか?」と声をかけ、その人たちの行動計画を聞きだして、「お天気でよかったですねぇ」なんて、自分も一員のように喜んでいる。
○地下鉄のホームで電車を待ってベンチに腰掛けているとき、隣り合った同年輩の女性と話し込み、私のところに戻ってきてから、「あの人、昨日、青森から出て来たんだって。こっちに出稼ぎに来ていた旦那さんが怪我したんだってさ。大変だねぇ」なんて言っている。
○電車の中で、喉がイガイガしてのど飴を取り出したりすると、隣に坐っている人に、「お一ついかがですか?」と勧める。
○ご近所でも、「Mさんは足が悪くて重いものが持てないから、このジャガイモを届けなさい」とか、「Tさんは男所帯でたいしたもの作ってないから、この煮物、届けなさい」とか、私はよく配達係りを命ぜられたものです。
そんな母の姿が今もたまらなく懐かしい。
そして最近、母のあのような「おせっかい」 こそ、
昨今の家族崩壊や地域崩壊などを食い止める
有力な手立てになるのではないだろいうか...
という気がしているのです。だから私も...
さぁ、こうしちゃいられない!
おせっかいおばさん2号を目指さなくちゃ~!